Traveling Creator's Life

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阪神淡路大震災から21年。当時5歳だった私が見た光景と受けた衝撃。

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17日阪神淡路大震災から21年が経ちましたね。

私は当時5歳で、兵庫県伊丹市に住んでいました。

 

伊丹市は震度6強で、多くの建物が倒れ被害がたくさん出ました。

まだ幼かった私ですが、今回は私が覚えている限りの地震で見た光景と衝撃を思い起こしてみたいと思います。

 

 

 

当時の私が見た光景と衝撃を思い出してみる

 

当時5歳だった私にとって、震災の記憶はもっとも鮮明に残っている最初の記憶とも言えます。

 

1月17日 5時46分 地震発生

強い揺れと、隣に寝ていたはずの母親が私の上に覆い被さった衝撃で、まだ幼かった私は眠りから覚めました。

 

揺れがおさまるのを待ってから、部屋の様子を確認してみると、

家族4人で寝ていた部屋の中で、真ん中で寝ていた兄はテレビが足の上に落ちてきてうめきをあげ、一番奥で寝ていた父親は、足元にあった大きなタンスが倒れて下敷きになりそうなところを、危機一髪で近くにあった机の引き出しがあいてその角でタンスが止まり奇跡的に無事でした。

 

地震という言葉も知らなかった幼い私は、今でもこの光景を鮮明に覚えています。

 

父が家族4人の安否を確認し、電気がつかない中、懐中電灯を持って階段をおそるおそる降りてみると、昨日まで家族揃ってご飯を食べていた食卓・リビングは、まったく違う姿になっていました。

食卓は、食器棚が倒れ、割れた食器で一面足の踏み場もありませんでした。

 

玄関の扉が開かず、窓から外に出ようとしましたが、地震で窓枠が歪んでしまい開かず、玄関のドアの外に倒れていた植木たちを、近所の人にどけてもらってなんとか外に出られました。

 

まだ薄暗い外でその時見た光景は、近所の人たちが家の外に皆避難しており、斜め向かえの家は、家自体が大きく斜めに歪んでとても人が住めるような状態ではありませんでした。

薄暗い夜明け前のこの光景は、幼いながらに強く衝撃を受け、とても怖かったのを覚えています。

 

当時小学生だった兄は、学校に状況確認をしに行き、近くに住んでいた祖父も、余震が続く危ない道を通り、自転車で安否を確認に来てくれました

 

 

私の記憶はいったんここで終わっています。

というより、当時の現状が強すぎてここが特に鮮明に残っているからだと思います。

 

 

地震発生後と生活の変化について

 

地震発生後、幼稚園の友達は何人か連絡がつかなくなってしまったり遠くへ引っ越していきました

今まで遊んでいた近くの公園も、たくさんの仮設住宅が立ち並び、その後私は父の仕事の都合で四国に引っ越しましたが、仮説住宅は私が中学生の頃まではずっと残っていました。

 

 

私が初めて地震を知ったのは、阪神淡路大震災という実体験を持ってでした。

 

実は震災の話をあまり周りにしたことはないのですが、20年以上経ったこともあり、東日本大震災後、改めて考える機会があったので文字にしてみました。

 

 

日本のどこで起きてもおかしくない地震。

改めて経験を思い出すことによって、この幼いながらに受けた衝撃を忘れないようにしたいと思います。